友人達は私の事を「△△△は本当にマメだね」とか「女性に対して優しすぎるくらい優しいね」と評してくれる。
またパンも「貴方が優しかったから…」という理由でプライベートな付き合いをしてくれた。
ただ私自身はそこまで自分の事を優しい人間だとは思っていないし、人によっては私の事を「冷静だ」とか「冷たい」と表現する人もいる。
自分を客観的に見つめる事は困難な事だが、一つだけ確かに言える事が有るとすれば、「私を受け入れてくれる人達や私を愛してくれる人達に対しては、いつも感謝の気持ちを忘れないし、その人達に嫌われないように己の行動を縛っている部分がある」という事だろうか。
これは男女どちらに対してを問わずその傾向が有るようだ。
言い換えれば利己的・打算的な性格とも言えない事もない。
ただ、その気持ちに裏打ちされた私の行動が、私に接する大部分の人に「優しくされて嬉しい、有り難い」という印象をもって受け止めて貰えるのであれば、それはそれでいいじゃないか、と思うようになった。
ふと時計を見ると午後3時過ぎになっている。
彼女に電話する時間である。
同僚に外で煙草を吸ってくると言い残し、オフィスの外へ出る。
エレベーターを降りビルの外に出た所で携帯のスイッチをオンにし煙草を咥えて火を付け、おもむろに"001−661−8XX−XXXX"とダイヤルする。
パンの携帯電話だ。
夜の仕事のせいで彼女が起きてくるのは早くても午後の2時過ぎで、遅いと本当に夕方近くなる時もある。
時差の為バンコクは今2時を回った所で、そろそろ彼女も起き出している時間である。
やや低めの長い呼び出し音が「プーッ」と鳴り電話がかかった。
今日は一発でかかったから良かったものの、必ずしも通信状態が良くないタイでは辛抱強く何度もかけ直さないとならないし、通話中に「ブツッ」といきなり切れる事も少なくない。
「アロー…」
「パンちゃん? How are you!」
「△△△?! I miss you!」
今にして思えば、この"I miss you."こそ私が一番失敗したと思っている言葉だ。
私はその字面通りに受け取っていたが、タイの言葉に直すと"キットゥーン"、即ち"愛している"という意味になる事を当時私は知らなかった。
いくら流暢に話すとはいえ彼女にとっては日常生活において使用頻度が低いであろう事を考慮してあげなければいけなかったのだろうし、英語に対する理解度の違いをもっと推し量ってやらねばならなかったのに。
最初の内は良かったがこの微妙なニュアンスの違いが、時間が経つに連れ後に大きな波となっていったのかも知れない。
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ただ私自身はそこまで自分の事を優しい人間だとは思っていないし、人によっては私の事を「冷静だ」とか「冷たい」と表現する人もいる。
自分を客観的に見つめる事は困難な事だが、一つだけ確かに言える事が有るとすれば、「私を受け入れてくれる人達や私を愛してくれる人達に対しては、いつも感謝の気持ちを忘れないし、その人達に嫌われないように己の行動を縛っている部分がある」という事だろうか。
これは男女どちらに対してを問わずその傾向が有るようだ。
言い換えれば利己的・打算的な性格とも言えない事もない。
ただ、その気持ちに裏打ちされた私の行動が、私に接する大部分の人に「優しくされて嬉しい、有り難い」という印象をもって受け止めて貰えるのであれば、それはそれでいいじゃないか、と思うようになった。
ふと時計を見ると午後3時過ぎになっている。
彼女に電話する時間である。
同僚に外で煙草を吸ってくると言い残し、オフィスの外へ出る。
エレベーターを降りビルの外に出た所で携帯のスイッチをオンにし煙草を咥えて火を付け、おもむろに"001−661−8XX−XXXX"とダイヤルする。
パンの携帯電話だ。
夜の仕事のせいで彼女が起きてくるのは早くても午後の2時過ぎで、遅いと本当に夕方近くなる時もある。
時差の為バンコクは今2時を回った所で、そろそろ彼女も起き出している時間である。
やや低めの長い呼び出し音が「プーッ」と鳴り電話がかかった。
今日は一発でかかったから良かったものの、必ずしも通信状態が良くないタイでは辛抱強く何度もかけ直さないとならないし、通話中に「ブツッ」といきなり切れる事も少なくない。
「アロー…」
「パンちゃん? How are you!」
「△△△?! I miss you!」
今にして思えば、この"I miss you."こそ私が一番失敗したと思っている言葉だ。
私はその字面通りに受け取っていたが、タイの言葉に直すと"キットゥーン"、即ち"愛している"という意味になる事を当時私は知らなかった。
いくら流暢に話すとはいえ彼女にとっては日常生活において使用頻度が低いであろう事を考慮してあげなければいけなかったのだろうし、英語に対する理解度の違いをもっと推し量ってやらねばならなかったのに。
最初の内は良かったがこの微妙なニュアンスの違いが、時間が経つに連れ後に大きな波となっていったのかも知れない。
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