前章で私の娼婦生活は終わってしまいました。
僅か2年半の出来事でした。
でも、十数年経った今でもトラウマとして残っています。
多分、一生消えることはないでしょう。
この先を読んでいただければわかると思いますが、私は数十万のタイ人娼婦の中でも、最も幸運で幸せな人生を送れたうちの一人だと思います。
でも結局、娼婦を出した家庭は幸せにはなれないのです。
外道平民の皆様にはこの先は興味ないかもしれませんが、あと3章ほど、私の話にお付き合い下さい。
1990年12月5日、王様の誕生日に私は生まれ故郷に帰りました。
コウイチにとって初めてのタイです。
家族は涙で迎えてくれました。
コウイチは村の印象を、「なつかしいね。子供の頃を思い出すよ。昔は日本もこうだったんだ。となりのおばさんが醤油借りに来たり、金持ちの家に集まってみんなでテレビ見たり。」と言っていました。
しかし、その視線は若い娘を追いかけ、「可愛い娘ばっかりじゃん、しかもノイみたいな使い古しじゃない。うーん、遺伝子が騒ぐ。」って騒いでるのは自分でしょ!
コウイチが「冷えたビールが飲みたい、氷を浮かべたビールなんかやだ。」とダダをこね始めました。
でも、この村に電気が通ったのはまだ5年前、冷蔵庫を持っている家庭などありません、冷蔵庫を買うことになりました。
どうせコウイチのお金です。
2ドアの冷凍庫付きを買わせました。
ついでにNTSC,PAL切り替えのできるカラーテレビも、日本から持ち帰ったスーパーファミコンで遊びたかったからです。
気に入ってもらえたら、ポチッとお願いいたします。みなさんの優しさが更新の励みです!!
僅か2年半の出来事でした。
でも、十数年経った今でもトラウマとして残っています。
多分、一生消えることはないでしょう。
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でも結局、娼婦を出した家庭は幸せにはなれないのです。
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コウイチにとって初めてのタイです。
家族は涙で迎えてくれました。
コウイチは村の印象を、「なつかしいね。子供の頃を思い出すよ。昔は日本もこうだったんだ。となりのおばさんが醤油借りに来たり、金持ちの家に集まってみんなでテレビ見たり。」と言っていました。
しかし、その視線は若い娘を追いかけ、「可愛い娘ばっかりじゃん、しかもノイみたいな使い古しじゃない。うーん、遺伝子が騒ぐ。」って騒いでるのは自分でしょ!
コウイチが「冷えたビールが飲みたい、氷を浮かべたビールなんかやだ。」とダダをこね始めました。
でも、この村に電気が通ったのはまだ5年前、冷蔵庫を持っている家庭などありません、冷蔵庫を買うことになりました。
どうせコウイチのお金です。
2ドアの冷凍庫付きを買わせました。
ついでにNTSC,PAL切り替えのできるカラーテレビも、日本から持ち帰ったスーパーファミコンで遊びたかったからです。
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